世界に拡がる日本発ブランドが未来を作る
少し前に、世界のフランチャイズビジネスの上位企業をご紹介しました。20位までには入っていなかったものの、日本発ビジネスとしてトップに輝いたのが、40位のKUMON(公文)でした。皆さんもよくご存知の「公文式学習」が、世界に拡がっているのです。
一体“KUMON”はどのように世界に出て、世界に拡がっていったのでしょうか。その歴史を少し振り返ってみましょう。
公文“KUMON”という言葉が何から始まっているかご存知ですか?それは、創始者の名前「公文 公」(くもん とおる)から来ています。高校の数学教師であった公さんは、或る日奥さんから小学校2年生の息子の算数の成績が思わしくないと相談を受けました。そこで、基本的な計算力を付けるためのプリントをルーズリーフに手書きで作りました。このプリントで毎日30分間学んだ息子さんは、小学校6年生の時には微分・積分まで解けるようになったそうです。請われて友人たちにも同じ様に学習指導をしてみたところ、子ども達の学力が目に見えて伸びて行きました。これに手ごたえを感じた公さんは、1958年に大阪に事務所を開設し、数学の指導を始めました。これが公文式学習教室のスタートです。読み・書き・計算の基本的なトレーニングを通じて、「やればできる」という自信を子ども達に与える公文式学習法は、高度経済成長で子供への教育熱が高まる中、全国各地に広がって行ったのです。
では、それがどうして世界の“KUMON”になったのでしょうか?
実は最初の海外進出は、世界に打って出ようと企画したわけでも、どの国が良いかと検討したわけでもありませんでした。1974年、日本で公文式学習教室を運営していた方の娘さんが、夫の赴任でニューヨークに転居することになりました。その方が、引き続き公文式を子どもに学ばせたいと希望され、現地教室が始まったのです。最初は日本からの駐在員の子どもが集まる教室でした。しかし、その学習効果が明らかになるにつれ、自然に現地の家庭に浸透して行きました。これと同じことが各地に飛び火し、いつしか世界中へと広がって行ったのです。たとえば、現在東南アジアで急速に伸びている公文式の学習教室は、イギリスで公文“KUMON”を知った人が現地に移動し、始まりました。もはや日本発ブランドということさえ、知られていないのかもしれませんね。
さて、“KUMON”では、それぞれの国にある程度の教室が出来たところで、現地法人を立ち上げます。この現地法人が中心となって、教材の翻訳、現地語教材の作成、フランチャイズ教室の管理などを行っていきます。公文式の教材は、元々日本の学習指導要領に沿ったものでは無く、子どもの能力を高校生レベルまで伸ばす最短ルートを目標に作られています。そのため、内容はほぼそのままで、現地で使えるという特徴があります。反対に、教室運営方法や料金設定は、現地スタッフとの協議を重ね、現地事情を汲み取った形に変化させていきます。共通の教材とローカライズした運営の組み合わせが、“KUMON”ならではのグローバル展開を作り出していると言えるでしょう。
しかし、“KUMON”が世界のフランチャイズビジネス上位に名を連ねていることは、そのような方法論とは別の重要な要素があると言われています。それは、「理念の共有」です。その理念とは、「個々の人間に与えられている可能性を発見しその能力を最大限に伸ばす」ことであり、創業者の公さんが息子のために手書きでプリントを作った時の想いと何ら変わりません。これを、国内外の社員・教室運営者、親が共有することで、世界50か国の435万人にも拡がったのではないでしょうか。「未来を担う子供の成長を願う」想いは、人種や文化の違いを超えて、誰もが共有できるものであったのだと思います。
世界各地に拡がる“KUMON”式教育は、今日も世界中で未来を作っているのですね。