のれん分けからフランチャイズへ ~2つのパン屋の物語~
2月8日付の『Net IB News』が、「福岡県久留米市に本社を置き、『キムラヤ』の屋号で小売り店舗を展開していた老舗パン店、(株)木村屋が1月31日、全店舗を閉鎖し事業を終了した」と報じています。「木村屋は、あんぱんを考案した東京の(株)木村屋總本店からのれん分けを受けた企業」です。
(株)木村屋總本店のウエブサイトを見ると、代名詞でもある酒種の桜あんパンの誕生秘話が語られています。
<明治8年4月4日。東京向島の水戸藩下屋敷を行幸された明治天皇に初めて酒種桜あんぱんを献上した日。木村屋初代当主 安兵衛、二代目 英三郎 それにのちに三代目を継ぐ弟の儀四郎らは2週間程前から酒種の仕込みに余念がなかった。4月4日、あんぱんのへそに奈良の吉野山から取り寄せた八重桜の花びらの塩漬けが埋め込まれ、季節感をたっぷり盛って焼き上げられたあんぱんは水戸藩下屋敷に届けられた。あんぱんは明治天皇のお気に召し、ことのほか皇后陛下(昭憲皇太后)のお口にあった。そして「引き続き納めるように」と両陛下のお言葉を頂いた。献上の世話役、鉄舟こと山岡鉄太郎侍従の表情もゆるんだという>
その後、パンを全国に普及させるため、(株)木村屋總本店ののれん分けの日々は続きました。
一方、同じパンでも、ハンバーガーを扱った日本マクドナルド(株)(現・日本マクドナルドホールディングス(株))はどうだったでしょうか?実は初期の頃、マクドナルドもフランチャイズというよりは、のれん分けだったという指摘があります。
前述の『Net IB News』も、「藤田氏は社員をビジネスパートナーとみなした。社員が将来、生活していてけるように『独立支援制度』を取り入れた。現代版のれん分けである。その制度を活用して店長たちは独立、フランチャイズ店を開いた。社員の独立をマックの増収につなげる一石二鳥の策だ。1990年代、店舗数を900店から3000店に急拡大した。FC店のオーナーのほとんどが、元社員だった」とのことです。/p>
伊藤雅俊氏は著書『ひらがなで考える商い』(日経BP社)で、のれん分けとチェーン店の違いについてこう書いています。「のれん分けとチェーン店はまったく違います。のれん分けされた店は、経営面では独立しているからです。同じのれんを下げている仲間であっても、経営責任も経営判断も別個です」
のれん分けからフランチャイズへと時代が移ったからこそなのか、2つのパン屋の物語に、のれん分けへの郷愁を掻き立てられます。