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「CoCo壱番屋」創業物語

何もなかった幼少時代

2018年度は、NHK連続テレビ小説『まんぷく』の影響で、日本列島がラーメンに沸いた1年でした。当たり前ですが、どの企業にも創業物語があるもの。今日は香ばしい香り漂う「CoCo壱番屋」創業物語を紐解いてみましょう。

「ココイチ」が産声を上げたのは、今から45年前のこと。不動産業を営んでいたある若夫婦は、「食べていくには不自由しないが、どこか充実感のない」日々を過ごしていました。

一念発起し、喫茶店を開業。すると、お客様相手の商売に大きな喜びを感じたのです。2軒目の喫茶店で出した手作りカレーが好評を博したこともあり、2人はカレー専門店をつくる道を探り始めます。宗次徳二さんご夫妻が「CoCo壱番屋」を立ち上げるのは、それからほどなくしてでした。

わずか40㎡、座席数20。裏と隣が田んぼという、名古屋市の郊外で1号店が誕生。ご著書『CoCo壱番屋 答えはすべてお客様の声にあり』(日経ビジネス人文庫)によると、当時周囲からは「いつまで持ちこたえられるか」と囁かれていたと言います。

ですが、「ココイチ」成功の要因を、「私に何もなかったからよかった」と宗次さんは語ります。「何もないから、『ただひたすら、お客様を大切にしよう』と思えたから」と。この「超お客様第一主義」は、その後の経営者人生においても貫かれることになります。

実際、店舗数を着実に増やされてからも、毎日5時には出社し、まず初めにすることとえいえば、2~3時間かけてお客様アンケートに目を通すこと。お詫びすべきものはお詫びし、励まされるものは全店で共有。そうして、組織一丸となって、お客様に愛される店を目指してこられました。

「順風満帆な経営者人生」を歩んでこられたという宗次さんですが、実は幼少期には大変なご苦労をされています。

孤児院で育ち、3歳で養子に出されますが、養父がギャンブル依存症を抱えていました。日雇いで稼いだお金もすべて、競輪に消える日々。六畳一間で、家具はリンゴ箱一つ、という暮らしが続きました。

『ニッポンの社長』のインタビューにて、当時、「誰にも頼らずに、一人で生きていかなければ」と思った、と語っておられます。中学時代には、冬休みにお米屋さんで住み込みで働き、高校時代には、友人のお家のお豆腐屋さんでアルバイトをするなど、自分なりに生きる道を切り拓いてこられました。

「世のため、人のため」とコツコツ努力を続ける人に、運命の女神は微笑む

厳しい幼少時代を経て、商業高校卒業後は不動産屋に就職。独立後は、喫茶店、カレー専門店と開業した宗次徳二さんの人生は、こうして見ると、一歩一歩着実に「ココイチ」への道を歩まれているように見えます。

『ニッポンの社長』のインタビューにおいても、こう語っておられます。

「器用な人ほど、最初はうまくやるけど、継続はしない。勢いのある人もそうです。最初は勢いがあって、うまくいっても継続は難しい。だから、不器用でもいい。コツコツと地道に継続して、人から認めてもらう。その連続が素晴らしい結果を生み出しますから」

25歳から53歳までの28年間、経営者人生をひた走ってこられた宗次さん。今では3代目の社長が「超お客様第一主義」な経営を引き継がれておられます。

宗次さんご自身は、2003年にNPO「イエロー・エンジェル」を立ち上げられました。同NPOのウェブサイトにはこうあります。「私どもは平成14年5月に、28年余に及んだ会社経営を後継者にゆだね、一線から身を引きました。これまで多くの皆様のご指導とお力添えにより大過なく経営者の重責を果たすことが出来ました事、感謝にたえません。新たなライフ・ワークとして、そして何よりも社会へのご恩返しの方法としてその感謝の気持ちを形にしましたのが、NPOイエロー・エンジェルの設立です」

活動内容としては、「音楽・スポーツ・福祉・ボランティア等各分野において夢や目標を持ち続け努力している方々を応援します」ということで、基金なども創設されました。また、クラシック好きが高じて、28億円の私財をなげうち、名古屋市内にコンサートホール「宗次ホール」も建設されました。

ご著書『CoCo壱番屋 答えはすべてお客様の声にあり』(日経ビジネス人文庫)は、こう締めくくられています。

「私の経験から言えば、店を経営する人間がプラス発想でいきいき取り組んで、その気概が全員に浸透している店は、たとえ客観的に不利な条件があっても繁盛している。店が繁盛するかどうかは結局『経営は人なり』というところに落ち着くようである」

NHK連続テレビ小説『まんぷく』の萬平さんしかり。「ココイチ」の宗次さんしかり。「世のため、人のため」とコツコツ努力を続ける人に、運命の女神は微笑むのでしょうか。

企業の不祥事に関するニュースが連日報じられる現代に、「経営は人なり」の一言が響きます。