ライフラインになったスーパー
スーパーマーケットはいつでも地域のライフライン
東日本大震災から8年が経過した今も、被災した方々はそれぞれの復興に向かって日々努力を続けておられますが、色々な情報が整理されていく中で、私たちの未来のために絶対に残していきたい様々な事実が浮かび上がってきました。
今回は、そんな事実のひとつとして、三陸沿岸地域に展開する地域スーパーである「マイヤ」をご紹介したいと思います。
三陸沿岸地域に16店舗を展開する地域スーパー「マイヤ」は、1961年岩手県大船渡市に「(株)主婦の店大船渡店」として開業。1979年より「マイヤ」と改名し、今に至ります。
ホームページの「ごあいさつ」には『(前略)弊社は1961年のチリ地震津波の翌年、最大の被災地大船渡市に創業、そして創業50周年を迎えた2011年3月11日の東日本大震災で甚大な被災を被りました。(中略)3.11の未曽有の東日本大震災では迅速的確な避難誘導で一人の犠牲者も出さず、被災のなかった店舗では震災直後から食のライフラインを支えようと必死に営業を継続、市民の皆様からの感謝と喜びの声が多数寄せられました。結果的に、スーパーマーケットが地域の暮らしに必要不可欠な存在であることが立証され、電気や水道などと同様にライフラインを担う業種だということ認識が深まりました。』とあります。
この言葉が示す通り、マイヤでは岩手県大船渡市の本部に加え、大船渡市、陸前高田市、大槌町において 6 店舗が全壊する被害を負ったにもかかわらず、勤務中の従業者・顧客ともに一人たりとも犠牲者を出しませんでした。
その理由は、マイヤが創業以来本気で取り組んできた『防災訓練』にありました。
マイヤの社訓である「時間厳守 5分前行動」「根性」「敏速な行動」を作った創業者は元海軍兵学校の体育教師。その精神が受け継がれ、「白い歯は見せない」「大きな声で避難誘導」「残存者の確認」すべて駆け足、本気の消火訓練。真剣の「火災防災訓練」は、マイヤの「伝統」になっているそうです。
周辺の市庁舎などの建物で多くの犠牲者が出たことを考えれば、マイヤ従業員一人ひとりの行動が、多くの命を救ったことは間違いありません。
しかしながら、マイヤにも予想できなかった震災被害がありました。それは、全取引データ・顧客データを含むすべての基幹システムデータが失われたことでした。大船渡市の本部のサーバに保存されたそれらのデータは、外部にバックアップがありませんでした。スーパーマーケットにとって、日々の売上データは販売計画を立てる上で無くてはならないものです。それが失われたことで、マイヤは店舗の新設・再開時の店舗運営に関し、一から販売計画を作らざるを得なくなってしまったのです。
現在マイヤでは、震災の経験を活かし、内陸部にバックアップサーバーを設け、データの二重化を進めています。また、大きな効果が確認できた『防災訓練』については、引き続き年2回の実施を継続し、その上『震災マニュアル』を毎年改定。管理職全員を巻き込んでのブラッシュアップが続いています。
マイヤの従業員・顧客を守った震災直後の対応によって、企業としての社会的イメージのアップが図られるとともに、顧客から地域にとってなくてはならないお店という評価を得ることが出来ました。
『私ども(株)マイヤは単なるビジネスとしてスーパーマーケットを経営しているわけではありません。店舗を通じて商品を提供することを手段とし、地域のお客様方が健康で豊かな食生活を実現することを目標としております。』という言葉で締めくくられる「ごあいさつ」には、これまでも、これからも、地域のライフラインとして頑張りますという決意があふれています。
災害を過去の出来事として記憶に留めるだけでなく、自分自身の行動を振り返り、評価し、改善していくことで、より良い未来を自分たちの手で作ることができることを、マイヤが教えてくれています。