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運転代行サービスの始まりは?

『飲んだら乗るな、乗るなら飲むな』という合言葉があるように、飲酒運転は大きな犯罪です。でも、飲み会の日だからと言って、車通勤から別の方法に変えられない場合があります。そういう時には、代行運転サービスが便利です。

代行運転サービスとは、『飲酒などの理由で自動車の運転ができなくなった者の代わりに運転して、自動車を目的地(主に依頼者の自宅)に送るサービス』(Wikipedia)です。でも、友人にちょっと頼んで運転してもらったというものではありません。『2002年6月、飲酒運転の厳罰化が盛り込まれた道路交通法改正と併せ「自動車運転代行業の業務の適正化に関する法律」が施行され、都道府県公安委員会の認可がなければ営業することができなくなった。』後、『2004年6月からはタクシーと同じ第二種運転免許の取得が義務付けられた。』のです。(Wikipedia)簡単に言うと、タクシーの運転手さん“だけ”をお願いするサービスということですね。

さて、この運転代行サービスの始まりがどういうものかご存知でしょうか?実は、日本でこのサービスが始まったきっかけとして、二つの全く異なるストーリーがあるのです。

(ストーリー1:始まりは友情!?)

ある日、早稲田大学に合格したての碓井幹彦さんは、ひょんな事からある外国人と知り合います。何とその方は、国際赤十字社の代表派遣団長でした。この縁のお陰で、碓井さんはスイス大使館のアルバイト運転手として採用され、その働きぶりへの感謝のしるしとして、東京-パリの往復航空券とフランスの大学への留学切符を手に入れたそうです。

碓井さんは、かねてから日本の事を外国に紹介したいと考え、早稲田大学の学生達で「海外日本紹介学生実行会」を立ち上げていました。そのことから、フランスに渡った後は、日本紹介のフィルムを上映するため、各地を車で回っていました。その際、フランスの友人たちが、「だれかに運転してもらえば良いから」と言いながら、カフェでビールやワインを飲んでいる姿を目の当たりにし、『代行運転サービス』を思いついたそうです。その後、飲酒運転による交通事故が激増し、大きな社会問題化していることを憂い、何とか事故を減らそうと「碓井運転代行社」を早稲田大学の同窓生たちと立ち上げたというのが始まりというもの。

(ストーリー2:始まりは思いやり!?)

1956年から1963年まで、戦後復興の中、深刻な電力不足を補うために黒部ダム建設工事が行われました。厳しい自然の中、過酷な工事に携わる作業員の楽しみは、月に1~2回のお休みに、黒部から富山市内に飲みに行くことでした。しかし、山から出るには作業車で行くしかありません。そうすると、帰りは飲酒運転になってしまいます。法令違反はもちろんですが、一日を争う工事の中、事故でも起こして作業員が一人でも欠けると大変です。そういう事情に配慮して、飲み屋さんが作業員を現場まで送っていく風習が産まれました。お帰りの時は、お店の従業員がお客様の車を運転し、別の従業員がお店の車で付いて行き、そして帰りにはその車に二人が乗って帰ってくるというものです。こうして、昭和30年代に富山の地で、運転代行の原型が出来上がったというのが始まりというもの。

これらの全く異なる二つのストーリーは、今となってはどちらが正解なのかわかる術もありません。でも、『誰かを思う気持ち』から産まれたサービスであることは間違いなさそうです。

都道府県別の運転代行サービス事業者数を見てみると、何と沖縄県がダントツの1位です。その他多い都道府県は、福岡県、熊本県、茨城県、秋田県などです。反対に、東京や大阪などの都市圏は比較的少なく、交通機関が不便な場所ほど普及しているのが解ります。

飲酒運転への取り締まりが益々強化される昨今、運転代行サービスへのニーズはますます高くなってくることでしょう。少ない投資で開業できる業種として、フランチャイズ事業者も増えています。業界全体でサービスの品質向上や価格の透明化を進め、より一般的なサービスへと進化する日も近いのかもしれませんね。