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ピンチをチャンスに変える経営術

挑戦することで成長できる!

近所の国道沿いにある『赤い屋根』。昔から変わらないその姿は、長崎ちゃんぽんの「リンガーハット」です。姿こそずっと変わりませんが、その経営は、山あり谷ありの苦難の連続でした。どのようにその危機を乗り越えることができたのか、2018年に創業56年目を迎えた株式会社リンガーハットの軌跡をご紹介します。

株式会社リンガーハットのはじまりは、昭和37年長崎市にオープンした「とんかつ浜勝」です。リンガーハット代表取締役会長兼CEOである米濱和英さんは、島根県の高校を卒業してすぐ長崎に移り、兄が経営するその店を手伝っていました。

『12歳上の豪は父親代わりであり、私の唯一の上司だった。仕事の基礎はほとんど兄から教わった。ある時、兄がとんかつ店で薬味にすりゴマを出そうと提案した。店長だった私が「すり鉢を置く場所がない」と渋ると、「お前は誰のために仕事をしとるんじゃ!」と一喝された。顧客本位の姿勢をたたき込まれた。』(日経新聞夕刊2015/7/29紙面より

昭和45年当時、世の中は大阪万博に沸きあがっていました。日本でチェーンレストランが次々と設立された年であったため、外食元年と呼ばれます。長崎でとんかつ浜勝を何とか軌道に乗せた米濱兄弟は、自分たちもチェーンレストランができないかと考えました。丁度その頃、とんかつ屋の目の前にできた「道産子ラーメン」が、たった2年半で閉店してしまうのを目の当たりにし、“長崎では長崎の郷土料理でないと続かない”とちゃんぽんで勝負することを決めました。そして、郷土で有名な貿易商の名前を取り、「リンガーハット」(リンガーさんの小さな家)としてチェーンレストラン経営へと乗り出したのです。その後、昭和55年に父親代わりの兄が44歳で亡くなると、和英さんは弱冠32歳で社長の座に就いたのでした。

さて、景気の波を何とか乗り切りながら大手チェーンへと成長したリンガーハットですが、平成20年頃に大きな経営の危機に直面しました。平成17年に外資系の大手チェーンより招聘した新社長が打ち出した『効率経営』が裏目に出てしまい、味への信頼が低下。やむを得ず値上げしたり、割引クーポンを配布したりの混乱の中、「安かろう悪かろう」のイメージで客足が遠のき、創業以来最大の赤字に陥ったのです。その危機を脱すべく、米濱さんは再度社長に戻りました。その時の想いをこう述べています。

『苦悩した末に「危機を脱する本当の原動力とは、経営手法の巧拙ではなく、会社に対する想いの深さ、強さなんじゃないか」と悟ったことです。(中略)再登板すると腹をくくってからは「会社のことを隅々まで知り抜いている自分が失敗するはずがない」「自分が失敗したら、誰も成功させることはできない」という強い気持ちが心のなかにわき起こりましたね。(中略)創業家は会社の危機から逃げることはできないし、逃げてはいけないんです。』(経営者通信Online 経営者インタビューより)

まず、米濱さんはリストラに取り掛かりました。ほぼ全体の1割強にあたる50店の不採算店の閉店を決定。そして、誰もが無理と思うようなスピードでそれを実行しました。そのことで、役員はもとより社員に社長の決意と危機感が伝わりました。次に米濱さんは、原材料の野菜をすべて国産化すると宣言しました。それは、材料費10億アップという無謀な取り組みでしたが、『食の安全安心』、『国内の農業を支援し食料自給率アップを目指す』、何よりも『美味しい野菜をお客様に』という社長の訴えは、役員や社員のみならず、店舗のパートやアルバイトの心を動かしました。「社長の話を聞いて感動」「こんな会社で働きたかった」「日本のために!」と全社が一丸となり、業績のV字回復という結果へと繋がって行ったのでした。

兄に叩き込まれた『お客様主義』と、業績不振をチャンスに変えた『新しい価値への挑戦』。今や新たな目標に向かって止まることなく歩みをすすめる米濱会長率いるリンガーハット。変わらぬ赤い屋根は、次のステージへと向かっています。